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長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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小倉昌男氏死去

昨日のこと。3ケ月前に著書に感銘を受けたばかりだったのに。以下、今朝の日経の評伝のコピー。
「小倉昌男氏は純粋さと高い志を持ち、前人未到の領域を切り開き続けた。生涯で二つ、国民生活にかかわりの深い”常識”を打ち破っている。赤字必至といわれた『宅急便』事業と、障害者に月給10万円以上を払う福祉経営だ。
宅急便事業を始めたのは1967年1月。長距離・大量輸送が主流の陸運業界で、家庭の荷物を扱うこと自体が非常識だった。初日の取り扱いはわずかに11個。だが小倉氏は『家庭の主婦が必ず支持してくれる』との信念を崩さなかった。
顧客の視点に徹して『クール宅急便』などのサービスを次々に編み出した。同業他社も追随し、宅配便は国民のインフラに育っていく。
官僚と真っ向から対決したことでも知られる。1986年には、路線免許申請を5年も放置した運輸省(現国土交通省)に業を煮やし、当時の橋本龍太郎運輸相を提訴、免許を勝ち取った。権力をかさに着る官僚を侍に見立て『二本差し(侍)が怖くて、おでんが食えるか』と江戸の町人気質を発揮した。
第二の人生では、時価で約46億円のヤマト運輸株を寄付してヤマト福祉財団を設立。障害者が働く共同作業所を視察し、月給が平均1万円の現実を知る。『この豊かな日本で絶対に許せない』と憤り、福祉施設の経営改革に乗り出した。
その一つとして、焼きたてパンのチェーン店を展開し、障害者に健常者と一緒に働ける場を提供した。福祉関係者に『夢のような話』と言われた月給10万円も実現させた。『保護ではなく、自立を支援するのがノーマライゼーション(等しく生きる社会の実現)』という哲学を貫き通した。私生活では『真心と思いやり』を大切にする紳士だった。入社直後、結核で闘病生活を余儀なくされ、駆け落ちを誓った恋人も去った。絶望のふちで信仰に目覚め、クリスチャンとなる。神に生かされている恵みをかみしめながら、人のためにと高い目標に挑み続けるロマンチストだった。(塩田宏之編集委員)」
同氏の遺志を継いだという人のをR30さんが書いてた。
# by phasegawa | 2005-07-01 19:34 | diary

野村監督の私の履歴書

野村監督の連載が本日で終了した。34歳からプロの監督を務めていた人がアマチュア野球という格下の世界に身を投じた事実だけでも興味深いのであるが、この人の、苦労と栄光と挫折の繰り返しの半生を知るにつけ、やはり一貫したものがあるのだなと知らされた。自分の打席で代打を送られ、その代打が打ち損じることを祈っている自分に気がついた時に現役引退を決意したという。自身のもがき苦しんできた姿を晒している点で、自慢話ばかりの政治家などとは雲泥の違いの面白さであった。

なるほどと思ったのは、ヤクルトと阪神のチームカラーを比較した話である。
「ヤクルトでは私の哲学、思考が乾いた土に水が染み入るように選手たちに浸透していっていると感じたものだが、阪神では何を言っても馬耳東風、聞く耳を持たないという感じだった。(中略)阪神は生え抜き意識の強い球団で、外から来た人間に強い違和感を持っている。しかも、ファンもフロントも、マスコミまでも選手たちをかわいがる。球団創設六十年以上の歴史の中で出来上がった甘えの体質。『井の中の蛙』でずっと野球をやってきたので、私のような考える野球を理解できなかたのではないか。ヤクルトの選手が『大人』なら、阪神の選手は『子供』とつくづく感じたものだ。」
典型的な阪神の選手が今岡であり、能力があるにもかかわらず、それを出そうとしないと言う。
「覇気がないというか、一生懸命さが見えてこない。がむしゃらにプレーすればすごい選手になると思っていたからこそ、何度も監督室に呼んで注意したものだ。」
ある日、手抜きとしか考えられないプレーについに監督の堪忍袋の緒が切れた。
「監督室に呼んで、『お前、胸を張って一生懸命やっていますと言えるか』と問いただした。だが、無言。何を聞いても答えない。チームのムードを壊すし、仕方がないので二軍に落としたのだった。
禅に『前後裁断』という言葉がある。その一瞬、その一瞬に命を賭けて全力を尽くす、という意味である。プロの選手なのだから一プレー、一プレーに、自分の持てる力のすべてをぶつけなければならないのは当然のこと。だが、阪神では、『体力』『気力』『知力』『技術力』の四要素のうち、最も基本的な気力の面を問題にしなければならないのは寂しいことだった。」

野村監督には寂しい顔、ぼやく顔ががよく似合う。

「結局、今岡については、最後まで理解できずじまい。今でこそチームの中心となって働いているが、私が監督のときは、ファンを裏切る無気力プレーの連続に、泣かされ続けたのだった。」
今や阪神の打点王、大スター今岡のかつてのプレーはそんなにファンを裏切っていたのだろうか。むしろ一番裏切られたのは、ファンよりも野村氏個人ではなかったか。
仰木監督の粋な計らいだったオールスターのピッチャー・イチローには激怒し、阪神では3年連続最下位という不名誉を演じた野村氏なりに、野球ファンに対してはどう想いを馳せてきたのだろう。かつて野村氏を奮い立たせてきた、羨望と反骨の対象だった読売の人気も最近ではすっかり落ちぶれてしまっている。

阪神ファンの一途な応援と甘やかし体質は、世の中の物事には光と陰の両面がある真理をそのまま反映していると思う。タイガースっていいよね、というプラスの共感エネルギーは、それがあまりに甘美なために、人の弱さや甘さの多くを覆い隠してしまう。その辺が野村氏にはよく見えていたのだろう。3歳で父親をなくし病気の母を助ける極貧生活の中這い上がり、王・長嶋に匹敵する実績を出しながら「ボクは人の見ていないところでひっそり咲く月見草」と自分を語る野村氏には、清濁を知り尽くした人間の透徹した視点と同時に屈折した心根を感じてしまう。

野村監督をしてもお手上げだったダメ虎を劇的に立て直したのが星野監督だった。野村氏はオーナーの言葉を借りて自分と星野氏を冷静に比較している。「詰めが悪かった」と自分を認めるその様は確かに潔くはある。だが、間違っても缶コーヒーのCMなどにはお呼びがかかりそうもないキャラクターにしても野球理論にだけは絶対の自信を持っていたはずの野村氏は、自らにどう折り合いをつけていたのか。

連載の冒頭、野村氏は中国の思想家・呂新吾を引き、自身の監督人生は、でこぼこ道を「深沈厚重」たる指導者を目指して歩んできたと言っていた。「考える野球」こそ氏の神髄。しぶとくも底知れぬ暗さが魅力の人である。
# by phasegawa | 2005-06-30 22:35 | review

朝型宣言

帰宅すると、鬼の形相をした妻が立っていた。
事態を把握するのに数秒かかった。そうか、私の番だった。子供の迎えである。保育園への迎えは義母に、そして、義母の家に子供を引き取りに行くのを二人で連絡を取り合い交替でやっていたのだが、今日は妻が残業するがために私が頼まれていたのだった。私がいつまで経っても引き取りに行かないため、義母が心配して妻に連絡、妻が仕事を中断して帰ったらしい。私の方はすっかり忘れてしまっていた。
妻は、残業せざるをえないハードなプロジェクトが8月いっぱい続くということで、相談の結果、これからは原則的に朝夕の当番を逆にし、私が夜に義母宅へ子供を迎えに行き、入浴と寝かしつけを担当することになった。朝は早くから出勤できるようになるが、夕方はほぼ定時で会社をあがらないといけない。そんなんで仕事が回るかという心配もあるのだが、最近は飲みが減ったし、自宅でできる作業も多いので、なんとかなるようにも思う。早朝から行動開始できるとなると1日が得な感じもするといえばする。
それにしても、作ろうなどとは夢にも考えていなかったし、せっせと作ってた訳でもまったくなかったのに、いつのまにか2匹もできてしまっていた。俺は知らん、と言ってみたいが、なかなかそうもいかない。保育園の長女の担任からは、まじまじと顔を見つめられて「お父さん、娘さんにそっくりですねー」と言われた。失敬な。なんで親が子に似にゃならんのだ。次女は、ジャムおじさんの「おいしくなあれ、おいしくなあれ」のフレーズがお気に入りで、それを連発しつつしょっちゅうクッションをこねている。そんな娘らを見ては、早く手がかからんくなるように、「おおきくなあれ」の心境である。
# by phasegawa | 2005-06-27 23:59 | diary

ペリカンのパン

ペリカンのパン_b0051385_21275615.jpg小ロールを買いに行ったのだが、今日は中ロールしかなかった。家から歩いて5分のこの店のパンは、密度が濃く、モチモチとした歯応えは、とにかくうまい。
メニューは食パンとロールパンのみ。それが、甘いパンに興味が薄い私にとっては願ったりでもある。作業場のような店舗は、何の飾り気もなく、小学校の下駄箱みたいな棚に無造作にビニール入りのパンが突っ込んであるだけ。店に入った目の前がカウンターとレジになっているので、客が3人もいると次の客は外で待つことになる。もっとも、選択枝は少ないので、客はカウンター越しに下駄箱を眺めては、手早くオーダーと会計を済ませていく。予約しての取り置きが多く、浅草界隈の喫茶店、そしてクリーニング屋にも卸売しているらしい。オーナーの話がいい。弟子入りをお願いしたいくらいだ。
# by phasegawa | 2005-06-26 00:01 | diary

57'13"

往路29'10"、復路28'03"。気温30-31℃。雨も風も暑気も好きな私としては、朝からの日差しの強さと気温上昇に気をよくしつつ張り切って家から飛び出したが、案の定暑いものは暑く、汗が噴き出し、意識が朦朧となる。隅田川は、先週とはうって変わって水かさが低い。先週あれほどウヨウヨいたクラゲ達も今日は影を潜めていた。帰宅後、冷たいお茶を一気に1リットル飲んで生きかえる。

ほぼ同時刻、走り慣れたコースで死者が出ていた。熱中症や心臓ではなく、水死とは。。
# by phasegawa | 2005-06-25 17:10 | run