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長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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宗教と正義

宗教の力はあなどれない。先月はブッシュの大統領再選の力強い後盾となり、先週は私をして危うくバナナ組の母子X'masパーティでのサンタクロース役を強いるところだった。幸いサンタ役は私よりルックスのいい義妹の彼氏のイギリス人に代わってもらえたのだが、妻の「当然でしょ、クリスマスよ!」の強硬な要求には参った。
そこで、ちらちらと本を読んでみたりしたのであるが、自分の無知を随分知らされた。まず、私は今の今まで新約聖書を新訳聖書と思っていた。キリスト教信者がイスラエルを支持するのは、ユダヤ人がエルサレムに帰還することがキリスト教の教えでもイエス再臨の前提になるからなのだという背景も知らなかった。そもそも一つの造物主の神を信じる点では共通し、人間としてのイエスの存在をユダヤ教もイスラム教も認めているが、信じるに足る絶対的な預言者としては認めていないので争いごとになることも再認識した。
昔、たまたま知り合いになったイラン人の女性が「信仰心がないなんて信じらんない。宗教がないということは『正義』がないということよ。」とプンプン怒っていた。でも、「正義」があったところで、イラクやパレスチナでは今日もイスラム教徒とキリスト教徒が殺し合いをしているわけで、果たして「正義」って何のためにあるの?そうまでして「正義」に忠誠を誓わなくてはならないの?とも思ってしまう。
今朝の日経でも田勢康弘が「何も生まない『正義』病」というコラムを書いていた。正義を争って衝突する世界は良くない。衝突を避け、対話を始めなくてはならない。それにはイスラム教でもキリスト教でもない日本が橋渡しを買って出るべきではないか、と言っている。
何千年も続いてきた宗教対立にいまさら橋渡しとはあまりにおめでたい夢物語ではないか。だが、クリパやって、除夜の鐘ついて、初詣して、奇抜な新興宗教にハマッたり面白がったりして、お調子者の多神教(無宗教?)の不心得者でも案外その柔軟性が世の役に立てるのかも知れない、という理屈は耳に心地よくはある。
by phasegawa | 2004-12-28 00:10 | issue