長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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のびのび・ぶらぶら

わざわざボディビルまでするかどうかは別として、自分のすべてを解放し、何もかもを不特定多数の人達に対して晒したくなることがあるのは自然な本能と思う。ドライアイスの煙の向こうに見え隠れする、彼らのキュッキュッと軽快な腰つきとステップ、そして、爽やかな笑顔に恍惚とした表情はどうだ。最近ザイーガで見かけた中で、脳裏に焼きついてしまっているのがこちらの映像。嗚呼、なんとうらやましいことか。仲間に加えて貰えたら嬉しいかも。景気のいい80年代サウンドが舞台を盛り上げる。
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by phasegawa | 2005-11-28 23:31 | diary

新潟にて

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墓参りなどで新潟まで行く。宿泊地は上の写真、阿賀野川沿いの咲花温泉の柳水園。濃緑48℃の硫黄泉に温まる。下は道中立寄った白鳥の湖、瓢湖。現在の白鳥飛来数は5315羽。写真は鴨ばかりだけれど。
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by phasegawa | 2005-11-27 22:52 | diary
津本陽による渋沢栄一の伝記、上巻下巻。学生の頃に城山三郎版を読んだが、もう手元にもなく内容もよく覚えていない。今回読んだ方が史実を淡々を追って小説らしくなくなったかと思ったが、手掛けた事業の幅広さにあらためて驚嘆する。農家出身、横浜焼討ちを企てた尊攘志士が思いがけず一橋家に仕え、明治になるや大蔵官僚になって辞めて、銀行を作って、株式市場を作って、紡績、肥料、造船、ガス、セメント、ビール、その他数え切れない事業や教育機関や福祉施設を立ち上げた。にもかかわらず、三井、住友、岩崎(三菱)らのようには名を残さない。明治末から大正にかけて(70歳から82歳!)の間に排日運動の高まるアメリカに4回渡航し、関係悪化を避けるべく奔走した。

77歳で実業界から引退したが、その1916年、第一銀行の株主総会にて頭取辞任を発表した時の言葉。
「およそ合本(株式)会社の首脳に立つ者でも、事務に従う者でも、その職につくについて、人から命ぜられたのであるからと思うと、自己と他を差別して、これは己れの物ではないという観念が生じます。
そうなると、かならずほんとうの精神は入りませぬ。ゆえにその事を処するには、すべての財産が自己に専属したものの如く観念して、最善の注意と最善の努力とを致さねばならぬ。さようにその事物をわが所有と思うと同時に、すべての貨財は全く委託されている他人の物である。この委託されている物もいやしくも法度外に処置したならば、自己の職責をあやまるので大罪悪といわねばならぬゆえに、自己はまったくこの会社の公僕であるということを寸時も忘れてはならぬ。
ところが、公僕を忘れぬようにすると、わがものと思って勉強するほうがとかく留守になり、さりとてわがものと思う勉強心が強くなると、公僕の精神を失う恐れがあります。
これは合本会社を処理するうえにおける通弊でありますし、わが物と思うと、思い過ごして自由にしたくなる。人の物と思うと精神が少なくなって形式のみに流れる。かくのごとき有様では、すべての事物、ことに生産殖利の事業に於て成功するものではないということを、断言してはばからないのであります。」

面会希望者には誰とでも会っていたが、事業を始める際の心得を尋ねられると、以下の4点を検討し、納得がいったならば始めよ、と説いていたらしい。当たり前といえば当たり前だが、それがなかなか難しい。

一、それが道理正しいかどうか。
二、時運に適しているかどうか。
三、人の和を得ているかどうか。
四、おのが分にふさわしいかどうか。
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by phasegawa | 2005-11-25 23:41 | review

48'09"

16:00-17:00、気温14℃。往路24'30"、復路23'39"。日曜に走っているので中2日。まだ脚に疲れが残っているように思えて、できるだけ楽に走ろうと歩幅を小さくして脚を上げないパタパタ走にしたところ、思いの外スピードにのれた。夏に比べて涼しくなったという当たり前の実感があるのみで、身体は以前と何が変わった訳でもない気がするのだが、タイムが確実に向上しているのは不思議な感じがする。こういう、続ければ記録が向上してしまう点も私が走り続ける理由である。

身体を鍛えるといえば、仲代達矢は、若い頃に映画「人斬り」で三島由紀夫と共演したことがあるそうだ。仲代が三島に「どうしてボディビルで体を鍛えているのですか?」と尋ねたところ、三島は「僕は切腹するつもりだからだ。体を鍛えていないと腹から脂肪が出てしまうだろ。」と答えたらしい。有限実行したのが35年前の明日、11月25日だった。その日の顛末と檄文はこちらに詳しい。
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by phasegawa | 2005-11-24 02:51 | run

『切腹』

映画を観るにあたって、誰かの勧めであるとか、雑誌やネットのレビューをきっかけにしてであったとしたら、別に珍しくもあるまい。ところが、今回は日経の「私の履歴書」がきっかけである。今月連載中の仲代達矢がとても面白いのだ。主観であるが、非常に文章が上手い。上手い役者という理想に向けてもがき続けてきたのがよくわかる。先立たれた妻への想いを吐露する潔さもいい。俳優の自伝に魅かれて、その俳優が自ら代表作という作品を観てみたくなったのだ。
これまでそれほど多くの作品を観て来た訳ではなく、仲代と言えば、「影武者」、「乱」、「二百三高地」などで演じられた、鬼気迫るギラギラした目を剥き出す狂人役であったり、無口で憔悴、超然とした役柄の印象が強かったのだが、近頃観た「阿修羅のごとく」での浮気する父親役には好感を感じていた。憎めない、向田邦子ワールドの貴重な一員としてはまっていると思った。たぶん眼光の迫力が狂人役をうってつけにさせるのだろうが、この人は一見不器用そうでいて本当は芸域の広い役者なんじゃないかと思う。
同じ黒澤映画でもカラーになる以前に出演した「用心棒」や「椿三十郎」の方がいい。監督から「蛇のようにやれ」と指示されたというニヒルな敵役の仲代は、不敵な笑みや凄みを利かせた睨みによって存在感を出し、三船敏郎のいかにも男っぽい魅力と対照的なクールな渋さが効果的なエンターテイメントの構図を作り出していた。
切腹」であるが、小林正樹監督による1962年の作品。黒澤映画よりも派手さがない代わりに、仲代の独白によって展開するストーリーの台詞がなかなかによい。斬り合いのシーンが通常の時代劇に比べるとチャチな気がしたが、もとより素浪人仲代と家老三國連太郎の問答の絡み合いがこの映画の真骨頂である。英語圏のスマートな法廷劇にも似ているのではないか。「武士の面目とは所詮上辺を飾るだけに過ぎぬのではござりませぬか」と朗々と繰り返す仲代の問いかけは、侍が途絶えた現代においても色褪せない。武士とは、誇りとはどんなものか?を考えるきっかけとして手っ取り早い、よく出来た日本映画があることを何故知らなかったのか。長編だが、同じ小林・仲代コンビによる「人間の条件」が今は気になっている。
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by phasegawa | 2005-11-21 23:48 | review

50'49"

10:00-11:00、気温11℃。往路25'11"、復路25'38"。先週がキツかったし、今週はインフルエンザ予防注射を受けたばかりだし、抑えて走ろうと思い、今シーズンでは初めてウィンドブレーカーを羽織って走り出した。だが、予想外のハプニングが2点。1つは、走り始めた際に冷え切っていた脚を急に運動させたせいか、両脛に痛みが発生して困ったこと。2つは、暑くて汗をかいたと思ったら今度は寒くなったりしているうちに便意を催してしまったこと。急遽、復路の途中で中央区スポーツセンターに駆け込んで用を足す。その間の10分弱は時計を止めたが、一度走りをやめるとなかなかスピードは回復しづらくなる。ハプニングがなければ、先週に続き50分を切れたと思う。今の季節、隅田川はハゼ目当てに最も釣り客が増える。今日も人手は多く、ハゼも結構釣れていたようだった。

午後になって東京国際女子マラソン。高橋尚子が2:24'39"で優勝した。2年前は最初から日本新ペースでどんどん飛ばし、折り返しをしたと思ったらスパート、結局37kmの上り坂で失速というあまりにも単純な作戦ミスのようなあっけない負け方だったが、今回はひたすら慎重なレース運びだった。36kmの手前まで平凡なペースで我慢を続けて最後の5kmで一気に2位以下を突き放した。以前に比べて胴体も脚も太く武骨になったよう。肌のツヤも落ちて、なんとなくしなやかさが欠けた気がしたが、パワーで押し切ったというところか。独走体勢になった後も何度も後ろを振り返る姿を初めて見たが、それほどタイムよりも勝ちを意識していたのだろう。昔は、ただ走ることが好きと無邪気に言う通りの無心の走りに見えたが、今日は、自らの身体とライバル達に怯え、恐怖心と戦いながらの走りだったと思う。それでも、大会記録を調べてみたら、1999年の山口衛里の2:22'12"、2000年のチェプチェンバの2:24'02"に次ぐ好タイムだった。アテネ五輪の選考に関わった人達は複雑な想いに囚われたことだろう。野口みづきと一緒に走らせてみたかった。
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by phasegawa | 2005-11-20 22:29 | run

Noと言うこと

やる気まんまんの担当者や採用応募者のプレゼンテーションなりアピールに対しNoと伝えるのはつらい。表面上からは相手の意気消沈した落胆ぶりが感じられないにしても、また、所詮他人の気持などまったく伺い知れないものであるに決まりきっているにしても、それでも相手の心中の悔しさ、屈辱、惨めさを想像するにこちらもあまり心穏やかではいられない。Noの理由を明快に説明できる場合はまだいいのだが、いつもそうとは限らない。

仕事においてはできるだけロジカルであることをモットーとしているつもりの一方で、実はたいした根拠もなく勘で判断している気もしている。この人はこう言っているけれど、本当にそうなのか、どこか勘違いしているんじゃないか、といったレベルなのだが、二者択一式に答えるとすればNoになってしまうという感じ。当の相手は私の無知、無感性を呪うのかも知れない。確かにその一面はあろう。それでも私自身の中には、勘とはいえ、あれっと疑問を感じるそれなりの何かがあるように思うのだが、きちんとそれを言語化することができない。自分の疑問点をきちんと説明ができると、それをきっかけとして相手の思考に更なる深化をもたらしうるのではないかとも思うにつけ、それに貢献できない自分の無能さが歯痒い。

今週、外国人に知己の多いOさんから聞いた話で、日本人の欠点は、相手と意見が対立した時に徹底的に言葉を尽くして議論を戦わせることを避けて「もういいっ!」と話を打ち切ってしまうことだ、というのがあったが、私などもまったくそれに当てはまっている。相手への批判の言葉はオブラートに包んだりぐっと堪えてお茶を濁し、とりあえず笑顔など作ってみつつむしろ曖昧さを残すことで対立を先鋭化させない、これはこれで円滑な対人関係を維持するための合理的な智慧であると思う。実際、一呼吸置くことで互いに自省できたりもするものだ。敢えて言わずして伝えてこそ、そこに奥ゆかしさ見出す、「行間」や「沈黙」、「背中」の美意識みたいなものもある。

されど、言葉である。「言わなくてもわかってくれるだろう。わからないのはそいつの理解力が足りないのだ。」の理屈で自分を正当化することは仕事では許されない。肝に銘じておきたい。

ところで、きちんとした説明を心掛ける、理由を明らかにする、というスタンスは、言い訳上手に繋がりやすい点にも一応注意したい。

やはりOさんから聞いたところで、最近自分のところに相談に来る編集仕事に関わる若い人達は、すぐに「会社が・・・」と言い出し、自分は頑張っている、或いは能力があるのに、勤務先や周囲のせいで、不当に自分の活躍の場が制限されていることを嘆く姿がよく見受けられるが、どうも違和感を感じる、という話があった。かねてから私が嫌悪してきた、「出版業界責任転嫁病」に通じるものであるかとも思う。本が売れない理由を取次は万引と図書館とブックオフと版元のせいに、営業は編集のせいに、編集者は営業や著者やデザイナーのせいに、そして、誰もが、本を読まない最近の若者のせいに、こうして「自分は悪くない」と開き直る無責任の連鎖が延々と底なしスパイラルになっていく。やれやれだ。

惨めな結果を他人のせいにしたくはない。惨めな想いを他人にさせたくもない。
となれば、まずは自分が頑張るしかないのだ。
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by phasegawa | 2005-11-18 23:59 | business

48'34"

8:30~9:30、気温14℃。往路24'37"、復路23'56"。先週の予感的中で、信号待ちを2回経たにも関わらず、1分40秒以上もの大幅な新記録更新となる。整体マッサージは受けていない。あれをやると自転車に油を差すみたいに身体の関節が軽くなってつい前のめりになるのだが、今日は楽しむというよりも最初からタイム狙いで追い込むようにキツめに飛ばしてみた。秋になって気温が下がったことが何しろ好条件である。半袖短パンでは最初はかなり寒いのだが、いきなり飛ばすことで身体が温まり、折り返す頃には汗ばむくらいになる。特に朝だと人も車も少なく、空気がしんとひんやりしているので身が引き締まって気合も入る。太陽を、早く体を温めたい往路で正面に、暑くなってくる復路で背に受けるのも好都合であった。

これだけいいタイムが出せるようになると、10kmやそこらでは物足りなく感じてくる。来年2月の第40回青梅マラソン(30km)を思い出して調べてみたら、最早エントリーは締め切られていた。残念。その青梅市が何やら東京都にクレームしている。東京五輪を目論む石原慎太郎が同じ日に東京マラソンを開催をしようとするかららしい。なんと河野洋平と握手してる。名前も急遽大仰なものに変えたいらしい。まあ、青梅だって半年も前に参加希望を締め切って抽選をしていたくらいの「歴史と伝統」を笠に着た人気大会だったんだから、競い合うのもいいんじゃないか。石原大会のコース案では、私にも馴染み深い都心のど真ん中をぐるっと回るので(出典)、ちょっと気にはなる。運営者側は、一般から広く参加者を募るのと交通規制のコストとを天秤にかけて悩むことだろう。どうせなら、ホノルルやニューヨークのように「制限時間なし」の英断を下して1日都心から車を締め出して、1年で1番東京の空気が綺麗な日を実現させてみてはいかがだろう。
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by phasegawa | 2005-11-13 16:52 | run

753

b0051385_413889.jpg義母に着付けてもらい、混雑する浅草神社にてお祓いをしてもらう。「かしこみかしこみもうまおすー」とは「おそれながら申し上げます」ほどの意味だろうが、それ以外には何を言っているのかわからない。次女は2歳になったばかりで、袈裟姿が場違いのサルみたいだったが、本人はかまうことなく本殿の中を破魔矢を振り回しつつパタパタと駆け回っていた。
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by phasegawa | 2005-11-12 23:14 | diary

席を移す

社内で席を移ることとなり、新しい仕事の現場に接するようになった。だが、前の仕事が減ったというよりむしろ増えているので、毎日があわただしい。経理系の作業だったら、計算を終えることで達成感を味わえるのだが、マーケティングみたいに一生懸命考えなきゃいけない仕事となると、体力がとりえの私にとっては、オロオロしているばかりで仕事をこなせている実感はあまりない。

マーケティング仕事といえば、R30氏が「ビジネスとゆうのは結局人が簡単に行き来できないところの両側を橋渡しすることなのだ」と書くエントリが相変わらずスピードに乗っていて面白かった。

私なりに考えてきてたのは、仕事とは、自分も含めたところの或る人と別の人との双方にとってプラスになることを見つけて、そっちへ進むべくストーリーを描き、そのストーリーに多くの人を巻き込むことなんでないかということ。そして、そのためには、まず自分がプラス思考を持っていることが前提になる。

自信家であり、楽天家、貪欲だったり、カネに執着が強いこともプラス思考といえるだろう。欲望が強いほど望ましいのだと思う。自分のことだけではなく他人にとってのプラスのことも考え出したら謙虚にならないといけないのは当然なのだが、まず当人に前向きさがないと他人に対して影響力は生じ得ない。

具体的な提案ができるためには、人生を楽しむ引き出しが多いことも欠かせない。美しいもの、お洒落なもの、おいしいもの、目新しいもの、センスのいいものに敏感で、自分の目や耳で価値を見極められる感受性があるといい。特技や趣味も多彩で、奥行きのある人の方がいいのだろう。

ここでも私は自分の鈍感さにやれやれと感じる。空腹が満たされればあまり味にはこだわらない、動きやすければ着る物にもこだわらない。ケチであることに多少の自負はあっても、カネの使い方にかけては全然誇れない。大きく金儲けできるために必要な条件は、カネを大きく投資できることではないかという気もしているので、その意味でも金儲けの才覚とは縁が遠いかも知れない。

自分が思う方向へ他人を連れて行くためには、こうしたプラス思考で人生を楽しむメンタルを持ち合わせたところで、これを他人に向けて発信しなくてはいけないわけだが、えてして自分の言い分だけをしゃべりまくってもなかなか聞く耳をもってもらえない。それよりも、他人がいったい何を考えて何を欲しがっているのかを察知して、ほら、あなたが欲しかったのはこれでしょ、どうじゃ、こんなのも、こんなのにも興味あるんでないの、じゃあ、ついでにこれも買ってね、どう、こんなことされたら気持いいんじゃないかしら、だったら、これくらい安いもんでしょーが、などとやるコミュニケーションが求められてくる。

その時、どれだけ相手の目線に立ち、共感し、その人のものの考え方や関心を自分の中でも反芻しつつ、その関心を掘り下げる手法なりストーリーを冷静に考えられるかが仕事の上では大事になってくる。それには、テクノロジー動向や市場データの知識を本やネットで吸収するだけでは足りない。自分の固定観念を捨て、相手の感情や気持ちよさを自らも体感し、自分の中でその気持ちよさを増幅させられるぐらいでないといけない。それは、素直さや柔軟性、包容力、思い遣りの精神みたいなものを基盤にした上での深い理解であるのがいい。でも、所詮、人は皆自分勝手で、愚かで、強欲で、嫉妬深くて、気まぐれで、エロくて、忘れっぽくて、弱い生き物だったりするので、そんなのに付き合うのは余程忍耐力がないとできるものでない。それに、理解できたところで、どうというほどのものでもなかったりするのだけれど。

自分の能力を省みてみたら憂鬱になってしまうが、幸いにも周囲に有能な人達がいてくれる。せめて彼らの足手まといにならないように、初心にかえって新しい状況をこなしたく思っている。

そういえば、「マーケティングの目的とは、売り込みを不要にすることだ。顧客について十分に理解し、顧客に合った製品やサービスが自然に売れるようにすることなのだ」と遥か昔に喝破したピータードラッカーが昨日死んだ。95歳だった。 老衰だったようだが、2月の私の履歴書はいつ書かれた原稿だったのだろう。昨年の雑誌のインタビューでやり残したことはないかと尋ねられて、彼は、「自分が実際に書いた本よりもっといい本を書けただろう。最良の本は『無知をマネジメントする』という本だったかも知れない。それが書けずに残念だった」と答えたという。(出典)途方もなく大勢の人々に影響を与えた人だった。
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by phasegawa | 2005-11-12 00:39 | business