長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

<   2005年 08月 ( 14 )   > この月の画像一覧

53'12"

17時頃。気温26-25℃。往路27'46"、復路25'26"。気温さえ下がってくれるとうんと楽になる。今日は走り始めの身体がぎこちなく、後半尻上がりに調子が上がった。マッサージでもしてもらうとタイムは大分違うのだろうけれど。

夏休み最後の日曜、隅田川の屋形船には大勢の宴客。豊海橋近くの河畔の空き地では18歳くらいの日焼けしたタンクトップの男女10人位がバーベキューに興じていた。若いというのはよい。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-28 19:32 | run

女心とは

「あなたは女心がわかっていない」とSさんに言われて返答に窮してしまった。いかにもその通りなのだと思う。妻にもよく「どうしてアンタという男はそう配慮がないの?馬鹿なの?ダサイの?」と罵られている。年配者から「近頃の若いもんはなっとらん」、イスラム教の人から「異教徒は信用できない」などと言われるのも、なかなか言い返せるものではないが、女性から「男にはわからない」と指摘されるのも、まったく言葉を失ってしまう。

しかし、では男心がわかるかというとそれも覚束ない。近所のレンタルビデオ屋には仁侠映画がズラリと並ぶし、コンビニではLEON、UOMOやワルの本を見かけるが、私の手はなかなか伸びない。スケベ心は理解できるものの、ストーカーの気持とか、監禁して首輪させて「御主人様」と呼ばせて悦に入る者の気持とかは、すんなりとは共感のイメージを持てない。

恋愛のトキメキ体験とは随分遠ざかっていることを認めない訳にはいかない。「仕事50%、友達30%、恋愛20%、頑張る!」と言ってた人がいたが、後ろの2つがどういうものだったが、とうの昔に忘れてしまった気がする。これでも10年ちょっと前には、彼女のことを想うあまり翌日仕事なのに一睡もできないこともあったものだが、今では隣の妻のいびきや猿の奇声のお蔭かどうか、そんな甘く切ない夜とは無縁になって久しい。

妻は会社の一大プロジェクトが終了したそうで、打ち上げ会ということで朝まで赤坂と六本木の飲み屋を何軒も梯子してきて上機嫌だった。彼女は常々「女は40歳過ぎたら生きてる価値がないのよ」と言う。じゃあ、あんたの場合はどうすんだい?と思うが、できるだけの努力をして老け込むスピードを遅らせたいらしい。自分より若い男と遊ぶ時間も大事なようだ。まあ、とりあえず、痩せようか、というのが一致した意見になっている。

女は愚かと思う。アンケートで、好きな男のタイプに「誠実な人」、嫌いな男のタイプに「しつこい人」という回答がよく上位にあるが、両者の違いがどこにあるというのか。男が同じ求愛行動をとっていても、それが、大吉にも凶にもなりうる。結局、誰でもいいんじゃん。初対面の人には言えないが、妻や親しい女性(って誰だ?)にはすぐ言葉に出してしまう。土台アホな生物なんだから理解できなくたって仕方ないじゃないかという、開きなおった気持がある。もっとも、男も情けないほどまったく愚かな獣だとも自認しているので、どっちもどっちということになる。

男にしろ、女にしろ、私が好きなタイプは、欲張りで、かつ自分を知っている人である。なお、私が極度の面食いであるとする説もあるのだが、それを頑強に主張するのは妻のみである。以前、他人についてコメントするときにありがちなことを書いたが、自分についてのコメントというのもなかなかに難しい。「こういう私」と言われても、実際には逆としか思えない場合もある。「私には思いやりの心があります」などと堂々と宣言されると、ひねくれた私は反射的にその逆の可能性に含みをもたせて頭にファイリングしてしまう。

たぶんわかってないのにわかったつもりになってしまうことが怖いのだ。欲望が大きいほど己を鼓舞できる原動力になるだろうが、自分の想いの実現のためには、周りを知った上で自分を肯定も否定もする葛藤を経て極めないといけない。どうみても自らを熟知しきり、大きな欲を確かに現実化できている、という人に出会えると、心から尊敬してしまう。

私はというと、わからないことを深く探求する脳力はないくせに、わかりきったことや些細なことをああでもない、こうでもないと往生際悪くブツブツ・ウジウジしたりしている訳だが、何をどうこねくり回して言い訳しようとしてみても、女心はわからないし、モテない、という絶望的な現実はいかんともしがたい。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-27 23:30 | issue

稟議書など

6月に代表者印押印等申請書が導入され、その後、今更ながら、稟議書制度が開始された。続いて、同時にプロジェクト申請書だ、スケジュール管理表だ、と何らかのプロジェクトに着手するにあたっての必要書類が猛烈に増えようとしている。

当社の規模でも重要な投資案件の意思決定プロセスについては書面でファイリングしていかねばならぬ点は理解できる。しかし、稟議というのは、会議を開く手間を省くために、代わりに懸案事項を書面にして持ち回りで回覧し、決裁しようというものだ。

本来は、まず会議資料としてプロジェクト概要書なり、マーケティングデータなり、予算なり、スケジュールなり、精緻なものを用意し、プレゼンがあり、質疑応答があり、議論が重ねられて合議に至り、その議事録が残る方が望ましいのだ。以前、良い会社の条件とは良い会議が実現できていること、と書いたのだが、では良い稟議書が保存されていれば、良い会議運営の代わりになるかというとそうは言えないと思う。

いわんや、投資の可否について、先に話が進んでしまい、後付けで形式的な書式としての稟議書を残しているようでは誰のための書類かわからない。

はるか昔に聞かされ、今でも頭でイメージしているのが「樽の話」だ。樽の中に水を注ぎ入れる際、たとえ大きな樽であっても、樽の横板に穴や傷があると、そこから水が流れ出て、その位置以上にはいくら上から水を注いでも樽の水位は上がらない。つまり、営業なり、広報なり、商品力なり、管理なり、それぞれがいくら優れていてもどれか一つが欠ければそれが足を引っ張るし、どれか一つが突出していてもそれが無駄になりかない。企業というものは全体のバランスを考えないといけないのである。

会計士が変なこと言っていた。
「気になるのは、製造冊数の見極めですが、合理的な販売可能性を検討した冊数になってますでしょうか?」
どこの会社が「ウチは合理的じゃないんですわ」と言うもんかい。企業は、規模や成長段階やその時々の環境次第で、朝令暮改の優先順位があって、あまりに管理のための管理みたいな必要度の低い書類をわざわざ残してたら、時間の無駄、というか潰れてしまうこともあるものだ。形式を重んじる会計士を納得させるための建前論ではなく、実質的に必要にして十分な検討をした上で、意思決定をしている、と胸を張って言えるようでいたい。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-24 07:59 | business

国民の非常事態

出馬表明したホリエモンの行動力はたいしたものだ。キャラクター化した自身が生み出す経済効果や、サイトのページビューの費用対効果やらが瞬時に計算できるのだろう。わざと落選すると読む見方もあったが、確かに議席以上に話題になることが当人にとっても自民党にとっても意味があるということなのだろう。広島6区の前回の投票率が69%というのは思ったより高かった。

メディアを利用することにかけては、ホリエモンに負けず劣らず上手なのが、ホリエモンの他にも派手な刺客を口説いてはサプライズな話題を次から次へと出してくる小泉さんだ。前述の雷電氏の指摘の通り、お陰で民主党の存在感がすっかり薄くなっている。小沢民主党の「営業活動的選挙」に対する小泉自民党の「マーケティング的選挙」の争い、と喩えてたのは大西さんだった。

自民優勢の勢いから、公明党や派閥会長も首相の任期延長に言及するようになった。最初からそれを見越して選挙をしたかったのではないかと見る毎日の社説もあった。まさか選挙中に本人の肯定的な発言はありえないだろうけれど、なにしろ小泉さんは権力を巧みに行使し、また勝負勘がいい。

対照的に他党は厳しい。民主党が挽回するには荒業しかないではないか。例えばこんな。
1. テレビ討論の機会を増やす。(と思ったら既に言ってた。)
  「国民はダマされるな」的発言は、岡田党首よりも小沢一郎氏の方が効果的かも知れない。
2. 郵政民営化するよ、と方針変更。
  「改革に妥協しない」とか。まとまらないなら、党内で侃々諤々な様子を公開したらどうか。
3. 前妻&三男をテレビに出させたり、シスコンぶりを衝く、人格ネガティブキャンペーン。
  こういう本をもっと紹介したらどうなのか。

昨夏の参院選の自民党キャッチフレーズは、すぐに「あの米国を想い、この属国を創る」とパロディ化されていたが、今回は民主党キャッチフレーズの方が早速「民主党を、あきらめない」とパロられてた。あと3週間、あきらめずにどこまで頑張れるだろう。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-21 22:10 | issue

56'28"

起きてパンをかじって7:30に飛び出したが、既に気温29℃。充分暑く、キツかった。往路28'29"、復路27'59"。

昨日の甲子園では、駒大苫小牧が57年ぶりの夏連覇という快挙を遂げてた。準決勝で負けた大阪桐蔭や宇部商の方が、決勝に進んだ2校よりも強いんじゃないかと思っていたが、違いは、負けた2校は、いい投手が1人しかいない点だった。昔に比べて日程に余裕ができたとはいえ、豪腕1人よりもそこそこレベルを3人擁立できないと優勝は難しい。
駒沢系列は大学も高校も統一の校歌。北原白秋&山田耕作コンビ作の「せんだ~んり~ん」がサビ。駒大にとっては駅伝に高校野球にイメージアップだ。北海道でも、明るい話題が少なからず景気にプラスとなるだろう。
ところで、なんで今頃『タッチ』が実写化されるのだろう?アニメDVDを売りたいのか。斉藤兄弟、違いがわからないのだが、和也役の慶太は弟に生まれた不遇を嘆くのか。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-21 18:18 | run
未だ20代の著者。Amazonの書評ではかなり辛辣な評価が見られるが、私が無知なだけなのかも知れないが、つまらないとは思わなかった。
私は、SNSの普及がもたらしたことは、自分を演出する意識の高まりだろうかと考えていたのだが、東浩紀氏の系譜と思われる著者が言う「データベース化する人間関係」という視点の方が明快だ。

「対人関係のデータベース化は、それが電子的に保存され、かつ通信手段と一体化している場合において、それ自体が対人関係であるかのようなイメージを私たちに与える。具体例としてあげられるのは、ケータイのアドレス帳に登録された『友人』との距離に関する、若者たちの意識だろう。(中略)ここで生じているのは、対人関係が、何か事実的な繋がりを持った、体験に根ざしたものではなく、<繋がりうること>へと意味的な転換を生じているということだ。そしてその<繋がりうること>を支えるのが、通信手段と一体化したアドレス帳なのである。事実、幾人かの学生が、アドレス帳が消えてしまうと連絡の取れなくなる友人がいると答えている。」

mixiのトップページでは、友人の数と一覧が明確に可視化されている。こうした友達データベースの可視化はどのようなインパクトをもたらすのか。簡単な答えは、データベースとのやりとりの中で自足する人間関係へと、友人関係が閉じられていく事態が生じうるということ。そして、この考えの延長として「個人化」が議論され、近代の社会学で個人化のプロセスは、リニアなモードの段階からノンリニアなモードの段階へと移行しているとする説を紹介する。

「リニアなモードの個人化の特徴は、いわば『我思う、故に我在り(I think, therefore I am.)』といったものだ。社会学における自己論はこれまで、社会心理学者G・H・ミードによる説明に代表されるように、人は様々な社会関係の中で必要とされる『役割』を発達過程の中において学習し、そうした社会関係に応じて変化する『客我(me)』を統一的に把握する『主我(I)』との二重構造において自己意識を獲得するものと考えてきた。『客我』とはつまり『知られる私』ということなのだが、『知られる私』のことについて『知る私』としての『主我』を通常は『アイデンティティ』と呼ぶ。
しかし、ノンリニアなモードの個人化においては『我は我なり(I am I.)』という断定のみが存在する。前者に存在するのは『反省(reflection)』だが、後者では『再帰(reflex)』が個人化を特徴づけている。つまりそこには、私が私であることの確信になるような内的メカニズムが欠如しており、個人とは、他者との関係の中でころころ変わる『知られる私』の集合に過ぎないということになっているわけだ。(中略)
社会学がこれまで想定してきた自己は、社会関係の中で自分に期待される役割を取得し、それを統合する自我を育て上げる『社会化(Socialization)』の働きを非常に重視してきた。しかしながらノンリニアなモードの個人化が進行する社会においては、他者との関係の中で必要とする役割(me)を取得し、それを的確に演じ分けるアイデンティティ(I)を取得する、といったような『社会化』のプロセスは弱体化せざるを得ない。むしろ必要となるのは、場面場面に応じて臨機応変に『自分』を使い分け、その『自分』の間の矛盾をやりすごすことのできるような人間になること-いわば『脱-社会化(De-Socialization)』なのだ。
『脱-社会化』された個人が、現実の社会を生きる上で必要とするのは、現在直面している社会関係の中で期待される役割を正しく演じるための感性であり、その感性の問い合わせ先としてのデータベースである。つまり、個人化によって可能になる『わたしは、わたし』と無反省に断定する振る舞いは、その都度その都度、データベースに対して自分が振る舞うべき『キャラ』、期待される『立ち位置』を確認するという作業によって可能になっているのである。」

その時々のキャラに応じた「これが本当にやりたいことなんだ!」という瞬発的な盛り上がり(カーニヴァル)と、本当はそんなものなど何もないという冷めた状態(宿命論)とが共存するのがノンリニアモードで個人化された時代の自己のありようとされる。自分の幸福を予期する構造が、反省的なコミュニケーションから、データベースとの自閉的な往復運動による確率的回答によって返されるようになるのである。

無反省で自閉的なデータベースとの問い合わせプロセスは、メタ次元の一定の価値観による判定、例えばマス・メディアの影響力の弱体化に繋がる。代わって登場するのが、「ネタ消費」とも言える事態であり、そこでは、あらゆる対象がデータベースから参照され、自足する再帰的運動として繰り返される。

反省よりも再帰、連続よりも刹那、統一よりも分断。幸福を我が身のデータベース・アルゴリズムに従って感知できることは、幸福について悩み、自己決定を迫られることに比べて正に短期的には「幸福」なのだろう。その先について、著者は、若い世代への説教も結果的に階級社会の招来に取り込まれかねない可能性をほのめかしているが、分析から更に進んで何かを提言しようとしているわけではない。誰がどういう幸福を求めようが、祭りで騒ごうが、当人の勝手と言えばそれまでの話ではある。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-19 23:39 | review

終日子守

夏期休暇の筈が全然休暇になってなかった。それもこれも家の猿次女が夏風邪をこじらせて、頼みの保育園に預けられなくなってしまったからだ。風邪なら風邪で病人らしく、いっそ寝たきりにでもなってくれたらいいのに、幼児とは発熱すると興奮し、ハイテンションになって動きが活発になる傾向もあるみたいだ。外資金融勤めの妻にはお盆など全く無関係で、また、最近はえらく忙しそうで朝の6時から夜の12時まで会社に詰めっきり。やむなく、私がほけーっと日暮らし猿の相手をしている。

こう書くとなんか良きパパみたいだが、全然である。小泉さんは自他共に認める冷酷非情な人らしいが、私も冷血人と思う。今日の昼の餌はコンビニおにぎり1個しか用意しなかった。お気に入りビデオのベビーアインシュタインを繰り返し見せては私への注意をそらさんとする。ビデオの案内では親子のコミュニケーションをサポートしますと謳っているが、我が家での使用法はその逆で、ひたすら親子の断絶のために利用されている。でも、製作者だってそうした意図がなかったはずがない。

ビデオに飽きると早速身体にまとわりつかれる。読書もPCもできない。そこで、昨日今日と日中はテレビで高校野球を見ていた。準々決勝が一番面白いとよく言われる通り、どっちが勝ってもおかしくないシーソーゲームが相次いだ。駒大苫小牧と鳴門工は5点差を駒大がワンチャンスで逆転勝ちしてしまった。試合後の両監督の話。鳴門「九分九厘勝てた試合でした」、苫小牧「何が何だかわかりませんでした。選手達は凄いです。」昨夏の優勝校とは思えない放心状態。大阪桐蔭は6得点中、4番が3本塁打5打点で東北に逆転勝ち。宇部商も日大三に8回に逆転されたのを9回に再逆転していた。

さて、最近の高校野球の特徴は、なんといっても野球留学による従来の弱小県の格段のレベルアップである。青森山田なんて県大会予選で6試合戦い、計64得点、1失点と圧倒的強さで甲子園の切符を掴んだ。山形を強くした大阪出身の指導者が次は青森に招かれたらしい。たぶん強いチームというのはまとまりが必要だろうから、地元民を排除し、留学組のみでチーム編成を考えているのではないか。

野球留学を批判するにしても、留学生枠の採用とか許容線を引くのが難しそうだ。だから、目くじら立てることないんじゃないか。どんな形であれ、地方→都会ばかりでなく、都会→地方や地方→地方の人の流れは好ましい気がする。今の選挙だって、落下傘部隊が続々と地方に舞い降りている訳だが、二大政党制の先輩国イギリスでは別に珍しくもないことのようだ。

そういえば、高校野球の監督には昔から記憶に残る人が多い。池田の蔦氏、PLの中村氏、取手ニ・常総の木内氏、沖水の栽氏らの顔がすぐ思い浮かぶ。明徳の馬渕氏は評価が分かれるだろうが嫌いではなかった。今回の事件で野球とは関係の無い人間になるからと宣言しているのは複雑な気分だ。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-18 22:47 | diary

52'23"

気温26-27℃。往路26'38"、復路25'45"。昨夜のヘルシンキでの尾方剛の力走に刺激され、起床後すぐの6時半に飛び出す。森と湖の国のクリーンな街並みと違い、雨上がりの東京の下町は、どぶ川や路上生活者の臭気、ミミズ、蟹、鼠の死骸などが散見され、気温上昇前とはいえ、あまり快適とは言い難い。メシ抜き走は、後半でガス欠になりがちなのだが、今日はまあ走りきれた。ほぼ無風だったので、これは日が高くなったら・・・と思ったが、案の定午後になって今年14回目の光化学スモッグ注意報が発令される。
それにしても、尾方のレース運びは黒く大きいアフリカ勢に混じっても余裕があり、力強かった。数年に渡るスランプを経ても、三十路に差し掛かっても、進化を遂げるのが長距離選手の面白さである。21位のイスラエルの選手はアテネ五輪でも20位だったが、なんと50歳だ。
私も、年明けの40回記念青梅マラソンにエントリーしようかと考え始めている。制限時間3時間半で高低差85mの30kmはちょっと微妙かも知れないのだけれど。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-14 14:46 | run

夏休み

b0051385_16562127.jpg会社の暦の上だと6日間の夏期休暇に入ったのだが、かといって、なんのイベントの予定もない。妻は遅くまで仕事、義父母も遠出、保育園に休みがないのがなにしろ救い。
先々週に長女と二人で行った新潟の写真を眺める。市の水族館のイルカショーと南蒲原郡湯田上温泉末広館の露天風呂。
b0051385_16561235.jpg
[PR]
by phasegawa | 2005-08-13 17:28 | diary

仕事の好き嫌い

好きなことだけやっていたい。時間が経つのも忘れて没頭したい。それで気が付くと、お金が貯まっている。そんな仕事に就いてみたい。一体どれくらいの人がこうした希望を持っているのだろう。

私には言えない。それは、私が凡人だからだろう。自分の「好き」の感情が仕事、すなわち金儲けに直結するとは思えないし、そもそも何の取り柄もなく自信が無いからということかも知れない。

「金持ち父さん」だかで、カネを追いかける人は金持ちにはなれない、と書いてあった覚えがある。確かに、カネ儲けしか目的のない会社などは、成長に限界があるだろうが、あまり遠まわしな言い方もまどろっこしい。儲ける意志なくして儲けられることはないと思う。

今日の土井さんのブックマラソンは『ユダヤの商法』だった。故藤田田は言う。
「数字に慣れ、数字に強くなることが、ユダヤ商法の基礎であり、儲けの基本である。もしも、金儲けをしたい、という気持ちがあるなら、ふだんの生活の中へ数字を持ちこんで、数字に慣れ親しむことが大切である。」
「本当の商人はきらいなものを売る。自分がきらいなものだと、どうやれば売れるか、を真剣に考える。自分の弱点だから、ある場合には必死になる。」

嫌いなものこそ必死になって取り組む。これくらいの方が私の仕事観にはしっくりくる。嫌いなことを避けていると、好きなことも遠ざかって行ってしまう気がするのだ。
[PR]
by phasegawa | 2005-08-12 23:36 | business