長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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カテゴリ:business( 31 )

営業について

土井さんのブックマラソンで『営業の魔術』という本が紹介されていた。アメリカで140万部の売上だとか。『How to Master the Art of Sales』という原書をAmazonで見ると世界で300万部とある。実際、赤ペンチェックの項目を読むと、ウンウンと肯けることばかりだ。

「わたしたちを本当に傷つけるのは失敗ではない。失敗することへの恐れが、もっともダメージを与えるのだ。失敗はいずれ過去のことになるが、失敗への恐れはあなたの未来を傷つける

トップ営業マンは、二つのタイプの質問を使い分ける。それはお客様のニーズを探る質問と、お客様に言わせる質問である

同じことでも、自分が言えばお客様は疑い、お客様が言えばそれは真実になる

何がうまくいくかを見極める唯一の方法は、その結果をしっかりと追うこと

人がものを買うときには、まず感情が先走り、そのあとに理由がついてくる。この順番は決して逆にはならない

お客様がよく使う言葉や表現を理解することは、お客さまとの距離をちぢめ、親近感が深まる。人は自分と共通するものを持っている人に、心を開きやすくなるものだ

クロージングはお客様のためになる決断をサポートするプロセスである

お客様に質問を投げかけた後は黙ること。最初に口を開いたほうが負けだ」

この8項目だけでも、人を深く洞察した含蓄ある言葉に思える。だから、本は読まなくてもいいか、などと言ってしまうと土井さんに怒られる。書店で見かけたら、手にとってみよう。

ただ、営業の手法は人それぞれ。本を読んだり、他人の話を聞いても、すぐ身に付くものでもないと思う。偉そうなこと言える立場ではないが、個人的に教訓がないこともない。営業マンの泥臭いイロハというかささやかな心掛けみたいなものだが、一応書き出してみる。

・人を説得したいなら、自分がしゃべるより、まず相手にしゃべらせる。
・相手の言葉を使い、相手のロジックに合わせる。但し、言い負かしても仕事が取れる訳ではない。
・相手と自分とで共通するメリットや目指すべきものを見つけて訴える。
・自社の特色や採算性の情報、自分のアイディアや気持は、飾らず出し惜しみせず率直に伝える。
・選択肢を用意して、相手に選んでもらう。自分はどれでもよいとする。
・知ったかぶりするより、その場では「わからない」と正直に言って帰り、次回に勉強の成果を披露する。
・気の利いたことが言えないなら、せめて褒め上手を心掛ける。褒めるだけで優位に立てることもある。
・ついでがあるから、と言ってこちらから足を運ぶ。外出するから、と言って電話はこちらからかける。
・初対面で1時間以上長居しない、40分以内が理想、大事な話であっても15分で十分。
・好意に甘えるより、喧嘩した方が信頼関係が深まることもある。可愛がられると頼られるは違う。
・常にギブアンドテイクを意識する。自分のテイクの方が多かったら負け。何をギブできるか考える。
・仕事がもらえないなら宿題をもらう。
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by phasegawa | 2005-09-25 02:54 | business

企画について

編集者が備えているべきスキルというものを紹介し、また、企画出しのトレーニングのために「ひとり虎の穴」を始めた中原さんという人がいる。曰く、編集者に求められる能力とは-

(1)良い企画書が作れる
(2)企画書に沿った原稿に仕上げられる
(3)良い執筆者や執筆者候補の人をたくさん知っている
(4)売れる装丁のポイントがわかっている

の4つなんだそうだ。この4つのほかにも、
「著者と良好なコミュニケーションが取れる」とか、
「企画を通せる高いプレゼン能力」とか、
「マーケティング能力」とか「コスト計算に強い」とか
「制作実務に関して詳しい知識がある」とか
数え上げればきりがないが、ただこれらは自然のうちに身に付くものらしい。

実感としては、上の最初の4つを習得するために大切なのは、いろいろなパターンの経験を主体的に積むことだと思うし、下の方のも漫然と仕事してて簡単に身に付けられるものではない気がする。

あと、企画書が優れていれば良い本になるのか?という疑問もある。売り込むための営業魂がギチギチ詰まった企画書、要諦はあのネタ、あの人を使うだけ、みたいな一発芸的企画書などいろいろあるが、たぶん企画書は売れるための十分条件ではないのだと思う。

されど、企画である。以前、新人編集部員に毎日1企画出せ、と指示してみたり、営業部員に売れる企画を編集に期待するな、営業が企画を決めるのだ、と号令を出してみたこともあったものだが。。かく言う私自身の企画が頼りない。でも、会社や市場の環境に応じた良い企画書に象徴される編集スキルは、中原さんも書いている通りどこの会社に行っても通用するそれなりの力になるのではないか。

個人的に基本は数だと思う。スポーツみたいなもので、普段の素振り練習が試合でヒットを打てる身体を作りセンスを磨くのだ。企画書を書いてはボツに、また書いてはボツにする経験が貴重なのだと思っている。

引っ越す前の前のオフィスの頃まで、「一言ノート」という存在があった。毎日、一言ノート係が社員全員から「今日の一言」を聞いて回るのである。それは、儲かる企画を常時皆でウンウン考え、ひらめいたらそれをすぐに書き留めるようにしようという趣旨からであった。

段々と社員が増え、役割分担が進み、社員全員で話題を共有する機会が減ってきているが、そうなると企画を人任せにしたり、自分で企画を出すより他人の企画を論評する方を得意とする人が出てくる。出版にしろ、ソフトにしろ、企画が命である。誰か「この企画のためなら殺されたっていい」とか言い出す当世風の人はいないものだろうか。いや、死ねというんじゃないけれど。
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by phasegawa | 2005-09-13 05:39 | business

稟議書など

6月に代表者印押印等申請書が導入され、その後、今更ながら、稟議書制度が開始された。続いて、同時にプロジェクト申請書だ、スケジュール管理表だ、と何らかのプロジェクトに着手するにあたっての必要書類が猛烈に増えようとしている。

当社の規模でも重要な投資案件の意思決定プロセスについては書面でファイリングしていかねばならぬ点は理解できる。しかし、稟議というのは、会議を開く手間を省くために、代わりに懸案事項を書面にして持ち回りで回覧し、決裁しようというものだ。

本来は、まず会議資料としてプロジェクト概要書なり、マーケティングデータなり、予算なり、スケジュールなり、精緻なものを用意し、プレゼンがあり、質疑応答があり、議論が重ねられて合議に至り、その議事録が残る方が望ましいのだ。以前、良い会社の条件とは良い会議が実現できていること、と書いたのだが、では良い稟議書が保存されていれば、良い会議運営の代わりになるかというとそうは言えないと思う。

いわんや、投資の可否について、先に話が進んでしまい、後付けで形式的な書式としての稟議書を残しているようでは誰のための書類かわからない。

はるか昔に聞かされ、今でも頭でイメージしているのが「樽の話」だ。樽の中に水を注ぎ入れる際、たとえ大きな樽であっても、樽の横板に穴や傷があると、そこから水が流れ出て、その位置以上にはいくら上から水を注いでも樽の水位は上がらない。つまり、営業なり、広報なり、商品力なり、管理なり、それぞれがいくら優れていてもどれか一つが欠ければそれが足を引っ張るし、どれか一つが突出していてもそれが無駄になりかない。企業というものは全体のバランスを考えないといけないのである。

会計士が変なこと言っていた。
「気になるのは、製造冊数の見極めですが、合理的な販売可能性を検討した冊数になってますでしょうか?」
どこの会社が「ウチは合理的じゃないんですわ」と言うもんかい。企業は、規模や成長段階やその時々の環境次第で、朝令暮改の優先順位があって、あまりに管理のための管理みたいな必要度の低い書類をわざわざ残してたら、時間の無駄、というか潰れてしまうこともあるものだ。形式を重んじる会計士を納得させるための建前論ではなく、実質的に必要にして十分な検討をした上で、意思決定をしている、と胸を張って言えるようでいたい。
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by phasegawa | 2005-08-24 07:59 | business

仕事の好き嫌い

好きなことだけやっていたい。時間が経つのも忘れて没頭したい。それで気が付くと、お金が貯まっている。そんな仕事に就いてみたい。一体どれくらいの人がこうした希望を持っているのだろう。

私には言えない。それは、私が凡人だからだろう。自分の「好き」の感情が仕事、すなわち金儲けに直結するとは思えないし、そもそも何の取り柄もなく自信が無いからということかも知れない。

「金持ち父さん」だかで、カネを追いかける人は金持ちにはなれない、と書いてあった覚えがある。確かに、カネ儲けしか目的のない会社などは、成長に限界があるだろうが、あまり遠まわしな言い方もまどろっこしい。儲ける意志なくして儲けられることはないと思う。

今日の土井さんのブックマラソンは『ユダヤの商法』だった。故藤田田は言う。
「数字に慣れ、数字に強くなることが、ユダヤ商法の基礎であり、儲けの基本である。もしも、金儲けをしたい、という気持ちがあるなら、ふだんの生活の中へ数字を持ちこんで、数字に慣れ親しむことが大切である。」
「本当の商人はきらいなものを売る。自分がきらいなものだと、どうやれば売れるか、を真剣に考える。自分の弱点だから、ある場合には必死になる。」

嫌いなものこそ必死になって取り組む。これくらいの方が私の仕事観にはしっくりくる。嫌いなことを避けていると、好きなことも遠ざかって行ってしまう気がするのだ。
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by phasegawa | 2005-08-12 23:36 | business

こんな人がいいかなと

採用面接をしていると、自分は未経験だけれど大丈夫だろうか、といった質問をしばしば受ける。経験や知識があるに越したことはないのだが、誰だって最初は素人な訳で、経験の有無を絶対条件とする気にはなれない。では、経験値が少なくても早くすくすく伸びる人とはどんな人だろう。私の独断と偏見による12のチェック項目を挙げてみた。要は学ぼうとする意識の問題と思うのだ。

・指示を待ったり、一人で悶々と考えるより、いろんな人に会い、質問して回る人。

・控えめだったり、足るを知るのタイプだったりするより、積極的に発言する、貪欲な人。

・結論だけを聞くよりも、なぜそうなのかに興味を持ち、自分で納得するまで考えぬける人。

・人と同じ自分より、人と違う自分に気付き、その差異を説明できる人。

・他人に対する不満を言うより、自分を疑い、謙虚に反省できる人。

・他人を批判するなら陰口でなく本人に直接言い、かつ相手の言い分にも耳を傾けようとする人。

・誰かから叱られたり、批判されたりすることを貴重な経験と感じ、相手に感謝の気持を持てる人。

・弱点を認め、成功談よりも、失敗談やカッコ悪い話ほど自らごまかさずに率先して言える人。

・なぜ自分が、という損得や不公平感より、周囲が敬遠する面倒そうな事ほど進んでやる人。

・「できない」「無理」「自分は無関係」と言わない人。

・上手に飾る器用さより、現実をよく見て、まっすぐ向き合える人。

・問題意識や臆病さ、葛藤を抱きつつも、失敗を恐れずに、明るく、前向きである人。
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by phasegawa | 2005-08-03 00:50 | business

契約について

契約書作りがちょっとしたテーマになった。私自身は法務のプロでも何でもなく、偉そうなことが言える資格があるはずもない。ただ、法律事務所対法律事務所のような大企業のケースではなく、当社のような小さな企業が個人や同規模の企業を相手にした場合であれば、一部弁護士とも一緒にこなしたささやかな経験などを通じて得た、私らしい暴論とも言えるような結論がある。それは、契約とは覚書とか合意書という簡易なレベルまである訳で、むしろ日常的な取引に必要なのは後者の性格を帯びた物の方が多く、それらは所詮、会社案内や企画提案書同様の営業ツールであるという点だ。
こちら側とあちら側の相手との間でもやもやしている部分がすっきりするよう確認できればそれでよいのだ。だから、相手方に応じての柔軟なオーダーメイドが理想となる。契約書に目を通す先方関係者の顔を思い浮かべながら、言い回しを考える。人によってパワポの資料や長文の企画書を嫌ったりするように、古風な法律用語が好きな人もいれば、難しい表現に拒否反応を示す人もいる。要領を得たわかりやすい条文を並べることは簡単には決められない。こちらのリスクを最大限軽減しようと思えば、不測の事態まで想定してあれもこれもと一方的に多くの要素を盛り込みたくなる。しかし、考えてみれば、こちらの要望には優先順位をつけることが可能であり、大事にしたいポイントは数点に絞られる。リスクコントロールをどう考えるか、という判断もあるし、相手が外国人だとまた話は別になるのだが、重要なその数点を明確化させるためには、その他の文言はむしろ省略した方が話が早かったりする。あまりにも言わずもがなの話を盛り込みすぎると、まるで相手のことを信用していないかのような印象を与えかねず、それなりに口頭でフォローする必要が生じてきたりして、このあたりに営業的配慮が求められる。口先で調子のいいこと言って、強引にハンコを押させて後は知らない、とやってしっぺ返しが来るのも言うまでもない。
思考錯誤するのは面倒な作業ではあり、仕事を標準化したくなる誘惑は常にある。「これが当社の定型」という台詞でこちらサイドでも先方に対しても押し切りたい気持が発生しがちであるのだが、案件にはそれぞれの個性があるので、紋切り型のスタイルで全てをカバーしようとすると、仕事の優先順位が見えなくなってしまう。「契約書=神聖にして侵すべからず」という先入観を持ってしまって、こうなったらどうなる、という想定に気が回らなかったり、事の大小を問わず素朴な疑問点を拾い出せなくなってしまったりするとしたら怖い。議事録や面談記録の作成でも巧拙が問われるドキュメント能力であるが、契約書作りにおいても、将来を見通し、他人の理解や気持を思いやる想像力と、きちんと自分の言葉で説明できる論理力が試されているように思う。
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by phasegawa | 2005-07-26 07:03 | business

社員研修旅行

観光バスで4台、総勢170名あまりで水上温泉へ。予算300万円のイベント。いきなりその場で聞かされた研修テーマだったが、わずか5年後にグループ社員があと3,000人以上増えるという相当強引な仮定にも関わらず、13チームそれぞれに真剣に夢のあるプレゼンテーションを行っていた。ファッションの話題をメインに歌にダンスにコントに寸劇に、各人の特技を活かしつつ工夫を凝らした発表は感動モノですらあった。私はと言えば、言われた通りに集合場所に赴いただけで、研修地の選定にもテーマの考案にも場の盛り上げにもまったく貢献していない。エラそうに採点する審査員役をやるだけであり、何日も前からあれやこれやと下準備に関わった人達にはまったく頭が下がる思いがしたものである。

と思いきや、やはり世の中甘くはなかった。大広間で始まった宴会、山里の温泉宿をのんびり満喫しようとしていた私の思惑は、前菜に箸をつけたあたりであえなく強制終了させられる。悪夢のようなビール三昧の狂宴となり、あっけなく、あられもなく酔いつぶれた。誰かが宴会後に部屋に戻って1万円分ビールを飲んだと豪語していたが、私は部屋の冷蔵庫には手を触れる暇もなく記憶を飛ばして、早々に(9時頃?)ぶっ倒れていた。飲み放題コースを有効利用したとも言えるかも。1年に何度もないのだが、酒で挑発されて自制心をなくしてしまうのは我が欠点である。今回の被害はメガネの破損だけで済んだが、たかだか酒のせいで、いつか取り返しのつかないことをしてしまう気もしている。好きで酔っ払っているのだから、はずみで自分が死んじゃうのは自業自得と思うのだけれど、迷惑行為だけはいい加減慎みたいものだ。
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by phasegawa | 2005-07-03 22:24 | business

査定と目標

スケジュール表の中に"査定MT"がずらっと並ぶ季節になった。
「査定」とは、手元の大辞林によると、「物事を調べて、その等級・金額・合否などを決めること。」とある。ならば、Meetingの中で、「来月のボーナス、こんなんでどう?」「冗談でしょ。そんなはした金ではやる気が出ないので他社に行きます。」「まあまあ、じゃあ君にだけちょっと色つけるから。」などといった生々しい会話ができると有意義なのかもしれない。でも、こんなんでどう?の世界だといかにも査定者の恣意性が働いて不公平な感じだ。なので、企業としては、客観的で公平な人事評価制度を厳正に運用している姿勢を打ち出さなくてはならない。そんなこともあって、今年は新しい評価シートの導入となり、表の桝目をたどったり、掛け算をすることで、評点がはじきだされるようになった。その評点の数字を元に更に何らかの係数を導き出し、総賞与予算に乗じることで支給額が決定されるとすれば、なんともシステマティックな感じではある。しかし、そんな風にして全てが決まることは、たぶんない。

現在のフォーマットに従えば、自分が設定した計画目標の達成度如何が点数算出に大きく意味を持つ。とすれば、自分の計画目標がいかに自分にとっては挑戦的であるかという点をことさら強調しつつ、目標を達成し易いように都合よく設定することが評点最大化のためには合理的な行動になる。そうなると、例えばこんな会話が発生してくるだろうか。上司「君にはもっと高い目標をもってもらいたいんだ。」 部下「無理です。これが精一杯です。これでも自分にとっては大いに達成しがいのある目標です。」 上司「そんなことはないはずだ。彼だってこれだけ頑張るって言ってるんだ。君ならもっとできるだろう。」 部下「できるかどうかわからないことをできると言うのは無責任です。」 上司 「君には期待しているんだ。やってみなくちゃわからんじゃないか。」 部下「自分のことは自分が一番わかってます。無理をすれば逆に他の仕事が疎かになるかも知れません。」 上司「いいから。これは業務命令だ。」 部下「やれって言うならやりますけど、どうなっても知りませんよ。」 こうなってくると、社員の士気はあまり上がりそうもない。

どこまで高い目標を設定するか、「挑戦的」の定義とは何なのか、そんな話をてんでバラバラにあちこちで繰り広げることが企業にとってプラスなのかどうか。いっそ社員個々の目標を自己設定ではなく、最初からトップダウンによって決定・通達する方式の方が公平かも知れない。少なくとも、部下の目標の妥当性を判断する上司の段階においては、一致した共通認識が生まれていないと成り立たない。それは、理屈というより価値観の領域に属する話ではないか。おそらく、会社の目標とは何か、その目標に到達するためにできうることは何か、といった議論をしつこく重ねることで少しづつそうしたカルチャーみたいなものが醸成されてくるのだろう。いずれにしろ、目標管理に基く人の査定は、容易なことではない。

ゴーン氏によってすっかり有名になった用語が「コミットメント」である。達成のために厳しく責任を感じなくてはならない目標、ということで、日本語にすると長ったらしくなる。それほど日本語の「目標」の概念があいまいだったということか。まあ確かに「不退転の決意」とか言っても誰も本気にしないかも。要するに日本の経営者に目標意識が薄かったと。順序としては、まず経営者がシンプルでクリアなビジョンを示し、コミットせよ、達成できなければ即刻辞任せよ。その覚悟を持った上で、社員に対してもコミットを求めよ、ということになる。やはり経営の責任は重い。

ゴーン流の定義によれば、結果に責任を負うコミットメントよりも更に高い目標が「ターゲット」である。私も、達成度云々とは違う次元で、より高い目標に向かって、自分を反省し、学び、付加価値を身につけようとする姿勢を重視したい。自分はかくいう人間である、と決め付けるのではなく、目標設定にあたり、従来の思考の殻を破ってでも、違う自分の可能性を模索しようと考え抜く意識の有無に関心は向くのである。

ドラッカー氏は、1954年の著『現代の経営』の中でGMの経営者の言葉を引用している。曰く、「どんな馬鹿でも予算を守ることはできる。しかし、守るだけの価値ある予算を立てられる人は、めったにいるものではない」と。また続けて言う。「誤った予測に基づいた目標に従うくらいなら、全然目標を持たない方がまだましである。」 耳の痛い話だ。
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by phasegawa | 2005-06-20 00:01 | business

代表者印押印等申請書

ついに当社にも「代表者印押印等申請書」導入の日が来た。ほんの6年前なら、会社の代表者印も、私が自分のズボンのポケットに入れっぱなしで出歩いていたくらいだったのに。それが机の引き出しに入り、手提げ式の金庫に入り、備え付けの金庫に移り、業務用冷蔵庫みたいな大型金庫に納まるようになった。ただ、金庫の開け方は教えてもらえていたので、私が勝手に会社の印鑑を持ち出すこともできていた。それが昨年の引越以降は、私も金庫に触れないようになった。それでも、金庫を管理する総務課の人に「これ押しといて」と口頭で頼めば押印してもらえていたので、ある意味楽になる一面もあった。ところが、いよいよ私も、捺印するためだけのための申請書に記入・署名・捺印をして提出し、受理してもらわなくてはハンコ一つ押せないようになってしまったのである。

こうした手続きの類は実に面倒くさい。社外への営業で忙しい時に、なんで社内の書類ごときに手間をかけにゃならんのだ、とイラつく。会社が成長しているのだと誇りを感じられたりすると、仕方ないかと納得できるものなのかも知れないが、何より従来とは明白に異なる目先の煩わしさにはうんざりさせられる。

面倒くさがりな私が新たなルールの導入に渋々従うとき、負け惜しみのようにしてよく言うのは、形式だけ整えたって中身が伴わなかったら意味がないんじゃない、という話だ。例えば契約がらみだったら、個別に起こりうるリスクを充分想定した内容になってるの?言い回しをもっとわかりやすくできないの?条件自体をもっと儲かるようにギリギリまで交渉できないの?などと言ってみる。でも、言っただけでは事態はあまり変わらない。契約作りや条件交渉に本気で取り組むにはそれなりのエネルギーを要するからだ。

印鑑の取扱いのようなコーポレートコンプライアンスの話から、切った張ったの商談のクロージングまで、企業の活動領域は広い。申請書やら決裁制度やら規程やらにつき、役員と言えども例外を許さずに守るべきルールを整備し、内部牽制の働く健全な職務分掌体制を敷くことは組織の維持・発展のためには不可欠なステップなのだろう。分業制を採用して各々の得意部門別のプロフェッショナルを育てることは、企業に奥行きを生み、総合的なグループの体力強化にもつながりそうだ。

しかし、敢えて言っておきたい。
どんなに書類の手続きが重視されるにしても、アイディアの価値は軽視しないで欲しい。
役割分担が進んでも、「それは私の仕事じゃないので知らない」とは言わないで欲しい。
想像力を求められない仕事はつまらなすぎる。
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by phasegawa | 2005-06-14 23:56 | business

役員研修

b0051385_17215029.jpg10人で熱海の温泉宿に行く。12時に現地集合。食事、風呂、酒肴など挟みつつ延々12時間あまりダベる。話題は、組織変更、評価制度、買収案件、新組織やポジションのミッション確認等々。時間に余裕があると、議論はいくらでもどこまでも脱線する。議事録役は大変だが、しゃべりたいだけしゃべれる機会は有意義ではある。私の意見はいつもの如く会計ネタに寄る。しかし、企業は結局、人次第。アウトプットされた数字の分析よりも、数字の背後にある生身の人間を深く知ることがより根源的な経営課題かも知れない。リーダーが足りないことが悩ましい、採用と育成とどちらに力を注ぐべきか、という話題もあったが、社員のことをなんのかんのと論評する資格が私にあると言えるのか。所詮自分は人のことをわかっていないのだな、と痛感したりもする。聞いてない、では済まされない。自分の思い上がりと無神経さに時折背筋が寒くなる。私の走る趣味を指して清水氏が「健康的でいいですね」と言うと、安藤氏はすかさず「そういう人に限って早死にすんだよね」。そうかも知れない。悔いを残さぬよう一日一日を大事に過ごしたい。
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by phasegawa | 2005-06-04 23:59 | business