長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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2005年 04月 09日 ( 1 )

会議の感想

オペレーションは改善されてきているようだが、決算速報を出す精度が低いのは相変わらずのようだった。
現状の業績の把握すら覚束ない中小企業が上場を云々するのは順序が逆である。2000年に東証マザーズがスタートしたあたりで会社の体をなしていない弱小企業でも運良く資金調達を果たせたことがあったが、その後大部分が消えてなくなった。いずれまともな企業になれる可能性があったにしても、分不相応な超拡大主義事業計画を打ち上げてみたり、IRと言ってはどうでもいいリリースをスパムのように流してみたり、見苦しい厚化粧に精を出したり、結局IT相場の終焉と共に多くの企業のメッキが剥がれ市場退出を宣告されてゴミとなった。上場しない方が良い企業になっていたかも知れない。それでも、生き残るしぶといゴミもいるので、ならば俺だって、と思うゴミはなかなか減らない。「この会社は、資金繰りの都合上、市場からの調達以外に生き残りの道が残されていない切羽詰まった状況なのではないか。」と見られてしまったら、誰もそんな会社の株を買うとは思えないのに。大きなプロジェクトを成し遂げるために背水の陣の覚悟を持つのは何につけ意味があることなのかも知れないが、一方で、なにがなんでも上場、と選択肢を絞ることで、引っ込みがつかなくなるリスクは増して行く。
業績さえ良ければ多くの課題は乗り越えられるはずなだけに、当たり前だがそれがわからないほど怖いことはない。経営者が儲かっているかどうかを知らずに経営しているとすれば、高速道路で目をつぶって車を運転しているような自殺行為だ。そんな車に同乗しつつ呑気におとなしくしているなら、衝突事故で死んでも誰も文句は言えまい。
会社の存続を肯定するなら、儲かっているはずという希望的観測や無関心を改めた方がいい。儲かっているはず、の行き着く先は、儲かっていることにしておこう、といった問題先送りや粉飾行為につながりかねない。自分達のやっていることに自信を持つことは大事だが、間違っていないかどうかを不断にチェックしようとする危機意識も劣らず欠かせない。
儲かっているかどうかは自分の知ったことではない。自分は言われたことをしっかりこなしている。儲かっていないとすれば、自分ではどうしようもないことが原因なのだ、という責任転嫁も短期的に自分を正当化できたとしても、長期的には会社のためにならず、引いては自分のためにもならない。企業のあらゆる可能性を吟味したら固定費は存在しないはずであり、売上が足りない際の合理化対象に聖域はない。
会社が儲かっているかどうかにもっと多くの人達の注意が注がれて欲しいと願う。どんなにうるさく騒ごうとも騒ぎ過ぎということはないと思う。会社の規模が大きくなるほど、判断の遅れによる損失も大きくなる。説明責任を負う側も、不特定多数の一般株主に対して経営内容を開示する義務を背負おうというのだから、誰に対しても緊張感を持って明快な説明ができないといけない。社員にすらわかりにくい話をどうして社外の人が理解できよう。情報漏洩とかインサイダーとかを気にする以前の問題ではないか。
会社の方針のわかりにくさ、上司の指図に対する疑問、目指すべき目標、待遇に対する不満、そうしたモヤモヤを、「で、当社の現状の利益、直近の試算表は?」、「出てこないのは数字が悪いからではないの?」と誰彼となく質問することから糸口を見つけたらいい。自分のパフォーマンスの低さは棚に上げつつ、私自身もそうしているつもりだ。
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by phasegawa | 2005-04-09 23:00 | business