長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

Noと言うこと

やる気まんまんの担当者や採用応募者のプレゼンテーションなりアピールに対しNoと伝えるのはつらい。表面上からは相手の意気消沈した落胆ぶりが感じられないにしても、また、所詮他人の気持などまったく伺い知れないものであるに決まりきっているにしても、それでも相手の心中の悔しさ、屈辱、惨めさを想像するにこちらもあまり心穏やかではいられない。Noの理由を明快に説明できる場合はまだいいのだが、いつもそうとは限らない。

仕事においてはできるだけロジカルであることをモットーとしているつもりの一方で、実はたいした根拠もなく勘で判断している気もしている。この人はこう言っているけれど、本当にそうなのか、どこか勘違いしているんじゃないか、といったレベルなのだが、二者択一式に答えるとすればNoになってしまうという感じ。当の相手は私の無知、無感性を呪うのかも知れない。確かにその一面はあろう。それでも私自身の中には、勘とはいえ、あれっと疑問を感じるそれなりの何かがあるように思うのだが、きちんとそれを言語化することができない。自分の疑問点をきちんと説明ができると、それをきっかけとして相手の思考に更なる深化をもたらしうるのではないかとも思うにつけ、それに貢献できない自分の無能さが歯痒い。

今週、外国人に知己の多いOさんから聞いた話で、日本人の欠点は、相手と意見が対立した時に徹底的に言葉を尽くして議論を戦わせることを避けて「もういいっ!」と話を打ち切ってしまうことだ、というのがあったが、私などもまったくそれに当てはまっている。相手への批判の言葉はオブラートに包んだりぐっと堪えてお茶を濁し、とりあえず笑顔など作ってみつつむしろ曖昧さを残すことで対立を先鋭化させない、これはこれで円滑な対人関係を維持するための合理的な智慧であると思う。実際、一呼吸置くことで互いに自省できたりもするものだ。敢えて言わずして伝えてこそ、そこに奥ゆかしさ見出す、「行間」や「沈黙」、「背中」の美意識みたいなものもある。

されど、言葉である。「言わなくてもわかってくれるだろう。わからないのはそいつの理解力が足りないのだ。」の理屈で自分を正当化することは仕事では許されない。肝に銘じておきたい。

ところで、きちんとした説明を心掛ける、理由を明らかにする、というスタンスは、言い訳上手に繋がりやすい点にも一応注意したい。

やはりOさんから聞いたところで、最近自分のところに相談に来る編集仕事に関わる若い人達は、すぐに「会社が・・・」と言い出し、自分は頑張っている、或いは能力があるのに、勤務先や周囲のせいで、不当に自分の活躍の場が制限されていることを嘆く姿がよく見受けられるが、どうも違和感を感じる、という話があった。かねてから私が嫌悪してきた、「出版業界責任転嫁病」に通じるものであるかとも思う。本が売れない理由を取次は万引と図書館とブックオフと版元のせいに、営業は編集のせいに、編集者は営業や著者やデザイナーのせいに、そして、誰もが、本を読まない最近の若者のせいに、こうして「自分は悪くない」と開き直る無責任の連鎖が延々と底なしスパイラルになっていく。やれやれだ。

惨めな結果を他人のせいにしたくはない。惨めな想いを他人にさせたくもない。
となれば、まずは自分が頑張るしかないのだ。
[PR]
by phasegawa | 2005-11-18 23:59 | business