長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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愛知万博閉幕

いつも終わった後でしみじみしてしまう。決算が済んでから前期にやり残したこと、葬式が済んだ後での故人の想い出などだ。最近では愛・地球博である。

正直、集客が計画を上回ることはないと思っていた。産業の振興を讃えるようなイメージのある万博が環境をテーマにしつつ大型の開発工事を進めることに無理があるんじゃないかと思ってた。一般の意見でも、ネットだ、ボーダレスだ、ハイビジョン大型テレビだ、の時代に今更万博ですか、の声もあったと思う。

ところが、開幕当初こそ「伸びぬ客足、拍子抜け」と言われていたものの、GW頃を境に完全に計画を上回るようになり、結果的に計画比145%、2,200万人の人出となり、収支は100億円だかの黒字になったという。同じく自然をテーマにした前回2000年のハノーバー万博が計画比45%の1,800万人の人出に1,200億円の赤字だったというのとは対照的だ。

私とて、自然の叡智を感じさせてくれる経験とはどんなものか、関心が無くはなかったのだが、行列で何時間などと聞かされると、どうにも気が進まなかった。

しかし、考えてみれば、集客の背景は十分あったのだ。実現までの道のりには紆余曲折があって話題に事欠かなかった。ネットで検索してみたら、発端は81年の五輪委員会にて88年のソウル五輪に競り負けて、五輪がダメなら万博を、という着想にまで遡るらしい。

99年には、建設予定地にオオタカの巣が見つかって論争になり、メイン会場が移転される。自然保護団体が国際自然保護連合に訴えた声は、博覧会国際事務局にまで届き、政府の万博跡地2,000戸造成構想は白紙に戻った。

2001年には堺屋太一氏が3ケ月だけ最高顧問に就任していた。堺屋構想は、会場面積の拡大や100mタワー、巨大映像システムなど「劇的空間」志向であり、「劇的」にならない愛知県の原案では700万人の大型地方博にしかならないと言い切った。当時の発言として、「万博は高度なプロの行事。ボストンマラソンならいいが、五輪のマラソンに市民は参加すべきではない」 という言葉もあった。

愛知の人にとっては相当な関心ごとになっていたのではないか。また、堺屋氏を三顧の礼で招聘した上で、結局引導を渡したのは今年80歳の豊田章一郎氏だった。豊田翁を博覧会協会会長にまで戴いておいたら、トヨタ関係の人にとっては他人事ではありえない。そのあたりが、今回前売券が900万枚売れたとか、1/4以上がリピーターだったという地元比率の高さを示す数字にも反映されていた。

開催の是非を10年前に住民投票していたら、果たして賛成多数になったかどうか。だが、人を集めるための仕掛けは、ハードウェアを劇的にするばかりではないことを今回の万博ではあらためて知らされた。そして、元来、人は万博のようなイベントやお祭に魅かれる気持を持っているということでもあるのだと思う。ネットの時代になったはいえ、それでもわざわざ混雑した場所へ何度も足を運びたくなるものなのだ。

百聞は一見に如かずなのだろうけれど、私は人生を半分終えても未だ万博を訪れたことがない。今回も、開幕したばかりだと混みそうだから、もっと落ち着いて空いた時期になってから、などと考えているうちに行きそびれている。35年前の大阪万博は、64百万人と日本人の2人に1人は訪れたという。19世紀に薩摩・鍋島藩が参加したりエッフェル塔がお目見えしたりしたパリの万博でも15-30百万人の人出があったとか。今月あった東京ゲームショウでは17万人、来月のフランクフルトブックフェアでは27万人と言われているからスケールは100~200倍の差になる。もしかすると一生縁が無い気もする万博。私に似合うのは、太陽の塔をボーッと眺めてるぐらいかも知れない。
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by phasegawa | 2005-09-29 23:19 | issue