長谷川新多郎の備忘録。最近は写真中心。


by phasegawa
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勉強する人・働く人

もう先月の話になるのだが、梅田氏の「『勉強』特権階級の没落」というエントリが話題になっていた。広く見るにはこちらの方がわかりやすいか。これまでは、若い頃に一生懸命勉強していい大学入って一流企業に入ってしまえば、それまでの努力のストックを活かすことで、その後の人生がある程度保証されていたが、これからは変化のスピードが早くなってそうもいかないだろうという話。勉強ができて一流企業に入れた人は、大きな枠組みの中で何らかの「知の創出」に専念していれば、カネが絡むような「泥仕事」は誰か別の人にやってもらえたのだが、今日ではいくら勉強ができた人でも地位は安泰でない。生き残るために必要なのは、組織の外に対する開かれた「対人能力」であるという。

およそインテリとはかけ離れた私であるが、それでもちょっとは解る気がする。組織の外に対する「対人能力」とは、言い換えれば自分が属するムラの看板や身内意識に依存しない営業力のことではないか。よく私はサッカーやラグビーに例えて、組織の戦術とは別に個々が「玉際に強くなろう」、「接点で当たり負けしないように」などと言っているのだが、ごく一部にしろ通じるところがあるかも知れない。

勉強好き少年と自認する梅田氏にすれば、大企業に勤めるテクノクラートの同窓生らに危機感を感じるであろうことは想像に難くない。読者の中にも、自分の代あたりまではギリギリで会社が守ってくれそうだが、後輩達は辛いだろうなあとなどと思う人が多いのではないだろうか。しかし、見方を変えれば、「対人能力」がありさえすれば、旧来特権階級が得てきた利益に他者がアクセスできうる環境になったとも言える。楠氏は、「それは一部の特権階級にとっては悪夢だけれども、才能ある疎外された人々と多くの消費者にとっては朗報のはずである」と語っている。あくまで可能性であって、土台人並み外れた能力が前提となるのではあろうが、どんな市場にもそうした隙はあるはずで、先行者の既得権益が大きいほど参入し甲斐があるというものだ。

では、個人が会社に頼れない時代になったとして、その代わりに自由な競争社会の風通しがよくなっているのかというと、そうとも言えない。消費におけるマーケティング重視の風潮は明らかになっていると思うが、働く人の就労・所得状況については、格差の拡大や階級の固定化が指摘されている。結果の不平等は避けられないにしても、機会の平等が失われるのは肯けない。永守氏に「やる気で100倍違う」と言われると励まされる。「偉くなるためには勉強しろ」と押し付けられるのは苦痛だが、「どうせ偉くなれないから勉強しても無駄だよ」と言われるよりははるかにましである。

今日で創業6周年。
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by phasegawa | 2005-07-13 07:13 | issue